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Blog 2018年10月

ARTORO 『稲刈り』

ARTOROでの活動は毎回あたり前のことを気づかせてもらえる。

普段目にしていることも自分の身体を通すと疑問ばかりで新鮮に見えてくる。

ARTOROの活動自体、

「自分たちでできることは自分たちで」

「身体で考える」

「今を豊かに生きる知恵を過去から学ぶ」

・・・といった姿勢なので、

毎回貴重な経験をさせてもらっている。



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日曜日におこなった稲刈の時もそう。

「稲は生きている」

「1本1本の個体の成長に差がある」

「稲穂は常に鳥に狙われている」

「たった1本の苗がこんなに大きくなる」等々、

当たり前のことも、

普段精米された白い米しか目にせず、

コンバインでガーっと収穫される様だけを見ている自分たちは忘れてしまっている。

わかっている気になっているだけなんだな。




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参加者が来る前に今日はどう進めようかと田んぼを眺めてみると、

違種はもちろんのこと、同種でも成長に差があることに気づかされる。

ARTOROでは種もみから苗を育てるのは各自にやってもらっているので、

特に成長の差が激しい。

果物でも野菜でも同時に種を植えたから同時に実がなり、

まったく同じように成長するなんてありえない。

米も同じはず。

ぼくらは勝手に、

実が小さいからなのかまったく同じ成育になっていると勘違いしているだけじゃないのか?

通常一気に刈取ってしまうのは、

効率重視という点だけじゃないのか?

ARTOROの田んぼは、

今すぐ収穫すべきものもあればまだのものと不揃いも甚だしい。

(まぁ、ARTOROの姿そのものでもある気もするが・・・?)

これでは一気に鎌で刈取ってしまうことは難しいので、

今回は収穫できるものだけを収穫する穂刈で進めることにする。




収穫のタイミングは人間だけでなくスズメも狙っている。

人間側は休日に収穫を計画するが、スズメは関係ない。

食べれるものから食べるだけ。

なかなかのハンターである。

きっと弥生時代も収穫はスズメとの競争だっただろうし、

今よりもった競争が激しかったと思うと、

収穫できるものから収穫する穂刈りは結構理にかなっているのかもしれない。




稲を育てるというのは、

ジャンボタニシにスズメ、

仲良く共存させてくれない生きものは結構多いのである。

ぼくらの主食のお米って、育てるだけでも結構手間かかるのね。




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ARTOROが借りてる田んぼのすぐそばの木に鳥の巣発見。

前回の鳥の巣研究家の鈴木まもるさんの講座の直後なだけに、

ちょっとうれしい。

まもるさん効果なのか、

みんな鳥の巣の発見力がするどい。

話はそれるが、

僕は以前火の見櫓の調査をやっていたことがあり、

今でも火の見櫓の発見力はおそろしくするどいです。



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登呂博物館の入口近くの木にはカラスの巣も。

今までまったく見つけることなんかできなかったのに、

見え始めるといろいろ見えてくるものなのですね。




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登呂は水が豊富で地下水もバンバン湧いているので、

稲刈りのこの時期でも田んぼは水で満たされていてなんか不思議。

泥だらけになりながらの収穫、新感覚です。

穂刈りで使う道具は手で握れる程度の小さな石包丁!

きっとあんまり効果がわからなくて使わなくなるんじゃないかと思ったが、

意外にもものすごく使いやすく便利。

石包丁ナメタライカンです。

収穫した穂を手で持って、束ねていくことを考えると、

切る位置は穂の下から5cmぐらいのとこ。

穂刈りは地道な作業だけど、全く苦にならない。

収穫していく穂が自分の手の中で束になるのも

ありがたみが直に伝わってくる感じがするのも理由の一つ。

ある程度の量になったらその辺の雑草で縛ってまとめる。

この束ねた感じも小さくてかわいらしくて何とも言えない温かみがある。

穂刈りって素敵。

その昔、年貢でお米を納めるとき、

米粒ではなく、稲穂を束にしたものを納めていたそう。

穂刈りをしてみて、なんかその意味がわかる気がする。




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博物館からは復元された木鎌もお借りしたが、

残念ながら今回は活躍の場はなし。

今度改めて試してみたいと思う。

はじめて木鎌を見たが、

この当時からすでに鎌としての形が出来上がっているのもおもしろい。




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収穫した穂は各自持ち帰り、

乾燥させて脱穀してくるとこまで宿題。

わかっちゃいるけど、

お米ってとってすぐ食べれないのですね。

収穫したその場で口に入れて「うまーい!」ってできないんですね。

籾摺りまでやっても精米もしないといけないのですね。

何と手間のかかる食べ物!

ARTOROで、あたり前のこと気づかせてもらってます。




乾燥の目安として、

「米粒を剥いて噛んで頭がツーンとしたらOK」と教わったのですが、

このツーンがいまいちわかりません・・・。

これがわかるようになって、

気づきを増やすのがとりあえずの個人的な課題。

ARTORO、たぶんあたり前じゃないことも気づかせてもらえます。




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今回収穫できなかった分はまた改めて。

そして、稲藁部分はしっかり集めて、

いよいよ屋根材の材料の確保です。

次回11月の活動は、

神戸の茅葺職人の相良さんに再びお越しいただき、

茅葺実践編です!


リビングは必要か?

住宅の設計をしていて最近よく思うこと・・・

それは

リビングは本当に必要か?

ということ



一般にリビングは団らんの場であり住宅の中心に位置づけられる

でも、それはちょっと前の話

会話がなくても家族が同じ番組を見ていたり

テレビがリビングのメインアイテムだったり

たとえ子供室にテレビがあって

子どもが自室にこもるようになってしまっても

それはそれで

家族がバラバラであるということの確認にもつながった



今はテレビがメインアイテムとは言えない

リビングにテレビがあっても各自がスマホをいじっている

テレビが家族をつなげる中心的役割はもう果たしていない

そもそももうテレビをほとんど見ないという家もある

同じリビングに居ても

バラバラであることすら自覚(実感)できない状況にある



もうリビングを重視する必要はないのではないか?

家族をつなげる場はもうリビングにはないのではないか?



むしろダイニングを重視すべきじゃないかと思う

食事が家族をつなげる

これは昔も今も変わらない

そしてこれからも変わらない

家族をつなげるのはリビングではなくダイニングにある

家族をつなげるのはテレビではなく食にある

普遍的な「食」こそが住宅の核となる場であり

そのダイニングを充実させてあげることが大事なんじゃないかと思う



そんなことを考えていたら

昔の囲炉裏文化はかなりよい空間だったんだなと思えてきた

笹離宮

ひさしぶりに日帰りでちょっと遠出

長野県の諏訪方面へ

目的地は笹離宮

ここにある笹葺の竪穴住居を自分の目で見たくて行ってきた



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感想は・・・

すごくいい

とてもすごくいい


何がよかったかといえば

まず、笹の葉のもっそりとした茅葺にはないふっくら感

なんとなく丸みを帯びたフォルムがかわいらしい

入口にある土器もかわいらしい演出でやさしい雰囲気が漂う

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そして一番よかったのが室内

今まで見てきた竪穴住居の中でもだんとつの居心地のよさ

ほど良い広さとほどよい高さ

竪穴住居には珍しく靴を脱いで入るのだが

それだけですごく気持ちよさがUP

靴を脱ぐから清潔感もある

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復元を目的とした建物ではないから基礎がRCであり

そのことも清潔な感じにつながっている 

床に敷かれた筵の質感もほどよく

足の裏を伝わる感触も心地よい

囲炉裏の前に胡坐をかいて座ると何時間でもそこに居れるような気もする



自分の仕事でも

手に触れるところはできるだけ質感を大事にしたいと思っているが

あー間違ってないなと思わせてくれる

床の重要性を再認識させてもらえた



笹離宮は全体もきれいで静かで落ち着いた雰囲気があり

とても心地よい場所だった

お気に入りの場所がまた一つ増えた

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